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二分の一夢庵 酒好きおやじの常日頃
姫路の 焼酎専門居酒屋の おやじが 常日頃 思う事を ダラダラと書き綴ります。
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しおたに みつはる

Author:しおたに みつはる
姫路の片隅で 本格焼酎の居酒屋を 家内と2人でやってるアラフィフのおっさんです。

日々思う 何かしらの事を 書き綴っていこうかと思ってます。



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一夢庵 陸奥 宮古旅 4
そういえば

岩手宮古の旅の事を 全く書いていなかったですな。

宮古の魚は

時鮭や さくらますを 仕入れています。

明後日には 今朝水揚げ分のサクラマスと 

すき昆布が きます。


前回は 盛岡を後にして

宮古に向かうところまででした。



盛岡の護国神社を後にし、

東へ 一路。


市町村合併を したのであろう

盛岡を出ると すぐに 宮古市になったが

市に入ってからが 長い!

国道106号線は

基本的には 峠道だが 走りやすかった。

早池峰だと思うのだが

峠のてっぺん付近には まだ 雪が少し残っており。

道端には

フキノトウが ボコボコに生えているのが

車を運転しながらでも見える。

閉伊川の 流れと 平行しながら走るのは

気持ちがよかったと記憶している。


JR山田線も 国道に並行しており、

道路と川と 鉄路。

所々に見える 小さい鉄橋が 旅情を誘う。



途中 道の駅 やまびこ館で 遅い昼食をとり、

ゆっくりと 宮古市が位置へ向かう。


宮古の中心街まで着いたのだが

街は 平穏な感じがして、

かなり復旧しているのかと 思ったのだが、

(後で 考えを改めなければならなかった。)


ホテルに チェックインしてから

近所を 散歩することにした。

歩いてこそ 見えてくることが多いので、

いつもの事だが 旅先では よく歩くようにしている。





つづく




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一夢庵 陸奥 宮古旅 3
新渡戸稲造先生の 生家跡を

後にし、

続いて向ったのは

岩手県 護国神社。


旅先では かならず

その土地の 護国神社に参拝させていただく。


気持ちを新たに

今を生きる事に対しての 意味を考える時間にしている。



ゆっくりと

誰も無い境内を 歩く。


その後

106号線を 一路

宮古へと向かった。




つづく
一夢庵 三陸 宮古旅 2
フェリーを仙台でおり

その日の宿泊地 岩手県の盛岡を目指し

東北道を 一路北へ。


交通量も少なく 非常に 走りやすかった。


2時間少しで

ホテルに到着!!


駅の近所の居酒屋で食事&酒ということにした。

地元岩手の あさ開という酒をいただいた。


まあ この居酒屋の話は ここには書けない!

めちゃおもしろい話がある!!

とまあ 少し飲んで 店を後にし、

部屋に戻って また 爆睡!!



翌朝は

岩手県 盛岡城跡を 散策。

雨がそぼ降る中

まだ かたい桜のつぼみを 愛でながら

歩いた。


雨の中の散策も 趣がある。



盛岡城跡のそばには

五〇〇〇円札の肖像にも なった

新渡戸稲造の 生家あとも あり、

そちらには是非と思っていた。


武士道などの 著者でもあり、

西洋に広く日本文化を 紹介された人でもあり、

当時の国際連盟にも 大きく尽力された人だと記されている。



しばらく 銅像を眺め

感慨にふけっていた。

kann to kaki

この画像は 本文とは 何ら関係ありません。
今日の坂越に牡蠣です。




つづく




岩手県 宮古にて
今回の旅は

名古屋から 仙台まで フェリーに乗ったので

体力的には

消耗は少なく済みました。


フェリーも 早割りで ネット予約したので

驚くほど安かったので

金銭的にも大助かりでした。



太平洋を 航行するフェリーは

でかいし 快適!!

バイキング形式のご飯は

野菜中心で!!(笑)


名古屋を 19時に出て

翌日 17時前に 仙台。


フェリーの大浴場は 気持ちいいしね。


今回は 寝てばかりの 往路のフェリーでした。(笑)




つづく
一夢庵 三陸 宮古旅
岩手 宮古からの旅を終え

姫路に帰ってきて はや2日。


自分では疲れがないつもりでも

やはり 少しは疲れが出るのかどうか・・・。

よく眠れる。



移動距離 およそ2600キロ。

現地 宮古では 友人が車を出してくれたので、

実際は もっと移動している。



まず 最初に何から 伝えるべきか・・・・。



やはり 震災・津波の災害について

私が見てきた事を

述べたいと思います。


盛岡から 106号線を 宮古へと向かう。

宮古の海側が近づいてきても

まったく 普通の町並み。

宿泊するホテルは 海から程なくの場所。


チェックインをすませ 散策に出た。



すぐに 違和感のある光景が 目に入る。


基礎のコンクリートだけになった家の痕、

まだ解体されていない 壊れた家、

道端から 鉄骨の束だけ残った 電柱跡、


震災後 すぐに報道された 宮古大橋の横の階段と

黒い津波に流され 橋げたに引っかかった漁船・・・。

報道で流されていたその場所を

見上げると

橋脚の青い塗装に のこる生々しい傷痕。



1階と2階が 鉄骨だけになった旅館。

家がことごとくなくなり 基礎のコンクリート・・・

その堤防の外には おびただしい量のがれき。


全体が茶色く錆びて 無残に変形した鉄くず よく見ると

それは 乗用車、しかも 火災に巻き込まれたのか

ホイルが溶けている。


岸壁のでっかいコンクリートの護岸は

基礎の部分から 流され 斜めを向いて

本来の役割をはたしていない。

湾の入り口近くの 沖の防波堤も

とぎれとぎれに なっている。






それでも

壊れた堤防の外の 海側の加工場では

塩蔵ワカメの加工が

行われていた。

そのワカメの貯蔵の為の冷蔵庫も

建設されていた。

そこで 黙々と働いている

多くの人がいる。


港の漁協の市場には

水揚げされた サクラマス 時鮭などの

魚が 並んでる。





復興と言っても

津波の来る以前のままの姿に

戻るのは

難しいことだと感じた。

でも

過去 津波の被害から 幾度となく

立ちあがり

そのつど 新たな再生で

海と町をつくってきた経験を 

活かして

今後 50年 100年と

地元の方が 幸せになれるような

目に見える復興を 目指してほしいなと

素直に思った。


私は

たまたま 同級生がいた

宮古という街と 縁ができたのだから

宮古の魚介類を 

一夢庵で 少しづつですが

みなさんに 紹介していくことで

微力ながら 何かの力になれればと思う。



津波の被害にあった場所を

一枚も 写真には撮らなかった。

あの光景は 一旅行者が 気軽に写真に収めては

いけない様な気がしてならなかった、

実際に 現地を訪れ 自分の目で 確かめ

記憶に残し、

どう思い どう考えるか・・・。


それが 今回の旅の 目的のひとつでもあったからだ。



morioka.jpg

この写真と 本文は 全く関係ありません。