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二分の一夢庵 酒好きおやじの常日頃
姫路の 焼酎専門居酒屋の おやじが 常日頃 思う事を ダラダラと書き綴ります。
プロフィール

しおたに みつはる

Author:しおたに みつはる
姫路の片隅で 本格焼酎の居酒屋を 家内と2人でやってるアラフィフのおっさんです。

日々思う 何かしらの事を 書き綴っていこうかと思ってます。



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原則 全面禁煙。

飲食店も 

全面喫煙の動きが あるようだ。



一夢庵としての 見解は 

今のところ 全面禁煙は 

不可能です。


当然 タバコの煙を 嫌う人がいることも 

重々 承知のうえの話です。


(個人的に 私も ハタチ過ぎから タバコは 吸っていたが、

今は 禁煙した。

全く 吸う気もおこらないし、

人が吸っている タバコの煙も 気にならない。)




身体に悪いのは 当然で

しかも 周りの人にも 影響を及ぼすと言われては

いるが・・・。




それでも やはり

タバコを 楽しんでいる人から

タバコを とりあげる事は  

私には 出来ません。





店の外での話になりますが、

一部のマナーの悪い 喫煙者が

いることも 事実です。

だから 余計に タバコが悪者になって

しまいます。



平気で 吸殻を投げ捨てたり、

車で 信号待ちの間に 灰皿を 道にぶちまけたり。

話が 逸れました。



実際的に

私のような 個人営業の店には

とてもじゃないですが

全面的な 禁煙は 

事実上 無理としか 

今の段階では 

皆様には 申し上げることしか出来ません。






これ以上 


タバコについて 規制をするのなら

国として タバコの製造 販売を

禁止するしかないような気がするのは

私の 間違いでしょうか?


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納税

個人商店の 一夢庵は

12月が終わり、一年の決算の結果

この時期に 確定申告をする。


私は 信頼できる税理士さんと ご縁があり、

納税関係の事は 専門家である税理士さんに 任せている。


ただ 昨年は 

家内の交通事故があり、

どうしても 家内が店に出てこれない時期の売り上げの減少やら

車が廃車になり、車を買い替え、

同時期に 冷蔵庫も 新たにして・・・と

必要な出費が多かった。

(それでも 蔵元めぐりの旅は していたけどね。)


景気が悪いと言えば 悪化をしてるかも知れないが、

私ごときが 世間様の景気を考えても 何にも

知恵は浮ばないし、何も出来ないので 景気のせいには しない。

私の力不足だっただけだ。


まあ そんなこんなの一年の結果が

確定申告に 如実に示される。

そして 私は 納税をする。

国民の義務のひとつだ。



ところが

そんな私の国の トップの人は

『税金を払っていなかったわけではない、

払っていなかったことすら 知らなかった、

それを知った時点で 払った・・・。』

と ニュースの記事に 書かれていた。

歯切れの悪さは 天下一品だ。




こんな事を こうやって ブログに書くと

『兄さん 怒ってますね。』とか

『もっと 怒ってくださいよ。』とか 知り合いには 言われる、



今回ばかりは 決して 怒っているのではない、

ただ ただ 

“際限なく”“果てしなく”“どうしようもなく”

情けない人だな、と 思うだけだ。


一人の人間として

『この人は あの年齢になって この程度の発言しか出来ないんだな。』



すこし 可哀想な気すら してきた。



自分の発する言葉に どれほどの気持ちを込め、

どれだけ 相手に伝わるか、

そんな事は その人は おそらく考えていないんだろう、

考えていれば そんな言葉は 口から出ない。

(考えていた上で あの発言だったら もはや薬はないだろう。)


私の理解不足かなと思って 何度も記事を読み返すのだけれど、

読めば 読むほど、

ご自身の保身の為の 薄っぺらい言葉としか

思えなかった。


『もう 腹もたたんよ。』


好きなように やってくれ!



人間として

常識とか 道徳的なことは

たまに少し小遣いをくれたお母ちゃんや

仕事を一生懸命にしていた 親父の後姿や

今まで 知り合った 数多くの人から 

いろんな言葉や姿勢で

教えてもらったよ。





故意の脱税だろうと 故意じゃない脱税だろうと、

脱税した事には 変わりがないんだと思うのだが・・・。



この人は それでも 納税の義務を果たしたと おっしゃっている。

まあ なんと言えばいいのか

私には 言葉が出ない、

ただ ため息は でるかな。






 

 

 


姫路の日南娘。
去年 鹿児島から 宮崎 大分と

蔵元めぐりを した時に(書庫にある 2009鹿児島宮崎~大分に

バッチリ記事にしております。)

宮崎の油津の海岸が あまりに綺麗で

店の名刺の写真を ここで撮ることにした。


で これが その写真。



すると

先日 はじめて 来店いただいた お客様と

お話していると、

なんと この海岸のすぐ そばにある 油津中学校の卒業生の方で、

しかも

お母様が 日南娘や銀の星を 造っておられる、宮田本店さんの

ある 大堂津の出身だと おっしゃる。



しかも お母様の旧姓が宮田さん。

さらに

その旅の途中 串間の松露酒造さんと お昼御飯を食べた、

串間の超人気ラーメン店 “マルチョンラーメン”に 

その方のおばあちゃんの 家で 造られた麺を 納めていると

言われるではないか。


まあ 姫路の居酒屋のカウンターで 串間とか大堂津とか 

串間のまるちょんラーメンとかを

耳にすることがあるなんて

お互い 思ってもいなかったので

異常に盛り上がってしまった。


『明日 お母さんと おばあちゃんに 電話しよう。』と

とても 嬉しそうに話して お帰りになられた。

なぜだか 私も 嬉しくなった。




よく 世間は狭いなどと 言われるが、

まさか 宮崎から遠く離れた姫路で、

偶然にも その土地の出身の方と 出会えるとは!

どこで 繋がるか わからんもんですな~~。



そういえば 種子島出身の方も お見えになったことがあり、

中種子町(なかたねちょう、普通の人は“なかたねがちょう”と読んでしまう。)

とか 西之表(にしのおもて)などと

種子島の地名で 盛り上がったり、

私が 訪れた種子島酒造さんの トンネルのある前の道が 自動車教習所のコースに

なっていたとか。


まあ 

いろいろ旅をして 見聞を広めていると

思わぬところで 思わぬ出会いに 繋がるな~~。

博多 蕾菜
先日

仕入先の ヒトシ君が

『市場で 初めて見たんやけど、』と言って

蕾菜(つぼみな)という 野菜を 見せてくれた。


なにやら 白菜の小さいヤツのようにも 見えるし・・。




とりあえず、自分で食べるのを 含めて いくらか

仕入れてきた。



そのままでも 食べられるようだし、

炒めても 揚げても いい感じになりそうだ。



薄くスライスして 味見、

少し ピリッとした味と この時期の野菜独特の

甘味も 感じる。


天婦羅にしてみると、

すじばった感じも全くなく 甘味が グッと 増した。


『コイツは いけるぜ。!』 家内にも 味見!




今日の来店いただいた、 お客様の評価も 上々!!


まだ 生産量の少ない 野菜のようだが、

なにやら ブレイクしそうな 感じが するぜ!!


ナイスな 野菜だ!!



宇佐の小松君が テレビに出た!!!


一夢庵の唯一の 日本酒

大分の宇佐市 長洲の 小松酒造場さんの潤平君が

テレビ出演しており、

テレビ局の許可をいただき YouTubeに アップしていたのを

小松君の許可をいただき

私のブログでは“初”の動画になります。


小松君の お姉さんは 

舞香・泰明・じいさんの置きみやげ等を 造っておられる、

豊後大野市 千歳町の 藤居醸造 藤居君の奥様なのです。


藤居君からの お付き合いから 小松君に ご縁をいただき

去年は 宇佐にも 足を運びました。



私は 運転手だったので そのときは 飲めませんでしたが、

その分 家内が 小松君のお父さんに どんどん 酒を注がれて

昼まっから おそらく 3合か 4合ぐらい呑んでました。

お母さんが作られた 小エビのアテ (お父さんの健康の為 塩控えめ)

が 美味かったです。



小松酒造場さんも 

酒造りを 再開されて 2シーズン目。

これからの蔵元さんだと 思っています。


ただ こういった ご縁の中で 私個人的には

すこしでも 力になればと・・・。


焼酎だらけの 一夢庵の唯一の清酒です。


何かの機会に ぜひ 一度 味わってみてください。


当然ですが 藤居君の焼酎もね!




若者よ。
スノーボードの 国母選手(21)の

服装について 抗議が あり、

さらに 会見での あまりに反省の無い態度で

ますます 批判が 高まって

橋本聖子さんと いっしょに 謝罪し、

しかも 開会式には 参加できなかったらしい。



私は 個人的には

若いうちは 少々いきがったぐらいで ちょうどいいと

思っているところも 実はある。

だたし“少々”だ。

今回は 日本代表で オリンピックに参加するんだからね~。



橋本聖子さんの 頭の下げ方を 

今後の人生の為に 見らなって欲しい。

自分がしたことではないけど、

自分の指導力の無さを 橋本さんなりに

反省して 頭を下げているんだぞ。



誰しも 間違いは 犯す。

完璧な人間は ほとんどいない。

特に 若い頃は。


代表に選ばれる“力”が あるんだから、

その力を 無駄しないで欲しい。



今回の騒動で 

君の周りには バッシングする人が 

増えてしまったかも知れないが、

それは 自分で蒔いた種だ。




私 個人的には 

国母選手の競技は いろんな意味で

楽しみに しています。

麦焼酎シンポジウム 番外 北品川 ほ志乃
学生時代 お世話になった店が

北品川商店街で 20年経った 今も 元気に 営業しておられる。


『ほ志乃』さんだ。

実は 学生の時 この店でバイトを しており、

いろいろ お世話になった店でもある。

昼間 仕込をされており、

ふいっと 顔を出して、

夕方 出直した。




大将も 女将さんも そりゃ20年ぶりだから 歳はとったけど、

それでも 実年齢より はるかに 若くて元気だ。


この店の “売り”は もつ焼きと もつ煮込み!!

全く変わらない その味には 

まさに 安心と信頼と実績に うらうちされた

“間違いのない”味だ。



当然 その他の料理も 抜群に美味い!

懐かしさもあり 心にしみわたる お店だ。




一夢庵を はじめようと思った原点は 

この『ほ志乃』さんと 言ってもいいのかも知れない。

家内も 大満足で、

普段は ほとんど口にしない 甲類の焼酎のレモンハイを 

何杯も 『美味い、美味い』と 飲んでいた。


お店を後にする際

大将と 女将さんに 温かい言葉をかけていただき、

ありがとうございました。


やはり いいお店には いい大将と もっといい女将さんが

居るんですな~。

私が その境地に達するかどうかは

分かりませんが、

ぼちぼち がんばろうと思います。


東京は 

流行り廃り 時代の移り変わりが 早い街かも知れないけれど

いつの時代でも 

“間違いない”ように していれば、

なが~~く 続いていく もんなんですね。



今回 焼酎楽園さん主催の

『麦焼酎シンポジウム』に 参加の為 訪れた

20年ぶりの東京だったけれど、

私にとって 東京は

刺激的で、しかも 懐かしく思う・・・・。


でも ずっと暮らしていくには“流れ”の 早すぎる

街だな~。



姫路の飾磨の片隅で ぼちぼち 頑張ります。

安売りの終焉の始まり?

起死回生の顧客増を 狙って したはずの 安売りが

裏目に出た。

しかし

よそ様の事とは言え、なんともいえない。




一夢庵の13%と 吉野家の13%は ぜんぜん規模が違うけど、

なんだかね~~。

(私は もう 何年も食べていないので 味の事は わからない。)


どえらい時代に なってしもうた。


新聞記事などには

『出口の見えない 消耗戦。』などと書かれていたが、

まさか 

こんな結果になるとは おそらく 想定外だろう。



私の足りない頭で 考えても なぜ こんな風になるのか

わからないです。



追記

どうやら 牛丼屋さん各社 同じ様な感じみたいだ。

あれだけ テレビで宣伝したのに、

それでは 費用対効果が・・・。

麦焼酎シンポジウム  焼酎ブーム終焉?


世間の一部で

『焼酎ブームの終焉。』などと 言われている所もあるようだ。

実際 この不況のせいなのか 

それとも

焼酎の人気が 落ちたのか 

私が 分析する事では ないので、

どっちでも いいのだが、

確かに 一時期の勢いは ナイ。



ただ、お客様との話の中で、

感じるのは、

まだまだ 焼酎に関しては 

芋焼酎でも 麦焼酎でも 米焼酎でも 黒糖焼酎でも

十二分に 可能性は 残っている。



具体的に 今日 初めて 来店いただいたお客様との会話を

すこし 要約して紹介します。


そのお客様は 今までに 俗に言う所の プレミアものを 

飲まれて 感動するようなことが ナイと おっしゃる。

まあ 銘柄は 伏せておくが、

けっして 美味しくない焼酎では ナイはずだが、

そのお客様の 好みに合わなかったのだろう。

詳しくお聞きすると かなり高い値段で 飲まれたようだ。


どの店のお品書きも 同じように 銘柄の名前だけを

書き綴っているだけで、

味の特徴とか 蔵元の名前すら書かれていないと

おっしゃる。

店の人に 聞いても 曖昧な返事しか 返ってこないと言われていた。



事実 私も 店をしている事を 伏せて

色々な店で 焼酎を 飲んだときの

売り文句が

『これは すごい入手困難で すごいプレミアが ついているんですよ。』

とか

『姫路では ここしか飲めない 珍しい焼酎ですよ。』

とか・・・・

まったく考えの無い 浅墓な売り文句を

何度か聞いてきた。


プレミアが ついている焼酎が 本当に美味いのか?

仮に 

美味いとして そのお客さまの口に 合うのか?

私には 疑問に感じるのだが・・・。




そんな話を お聞きした上で

私に おまかせで 飲んでいただけませんか?

と 申し出た。



快諾していただき 何杯か 飲んで味を利いていただいた。


すると

そのお客様は 

『焼酎も こんなに 味の違いとか 香りの違いとか あるんだね。』

と おっしゃられた。


帰り際にも 家内に 同じ事を 言われたようだ。





お客様が 焼酎に対して どのように感じられるかは

売り手の問題が 大きい!


それぞれの蔵元さんが 造られた焼酎を

人気や 名前だけで 判断して

お客様に 提供していては そりゃ ブームも終るよ!

というか

そんなブームは 早く終ったほうが 良い。



ブームが 終った後にこそ

本当の勝負が 始まり、

本当の実力が 問われる。



私は 今までと同じで

これからも 

焼酎を 大事に!

焼酎に 合う 料理を!

考えて行こうと思ってます。

麦焼酎シンポジウム 番外 北品川2
楽水橋の思い出を

家内に 話しながら、

『今更 言っても なんやけど、たいがいやな。』と

家内に 呆れられ、

『しゃー無いやろ。』と いいながら

懐かしの 北品川商店街に 着いた。



学生時代から まだ 元気に営業している店も あったし、

店は そのままだが どう見ても 営業していない店もある。

時代の移り変わりは 致し方ない。

とはいっても

学生時代に お世話になった店が なくなっていると、

少し 感傷に浸ってしまう。




ちょうど 昼過ぎだったので、

通りには 多くのサラリーマンが ランチを求め

歩いていた。

家内と2人で 少し歩いては 立ち止まり、

南品川のほうまで 歩いた。


この北品川商店街は 旧の東海道で、

日本橋を出て 最初の宿場町だった ところだ。

町の角々には その土地の歴史を示した掲示板が 張られ、

ついつい 読んでしまう。


とある 店の ショウウィンドウに 

神輿が 飾られていた。

これまた ついつい 眺めてしまう。




学生時代に 何度も 通っていたのに

今になって 初めて気付くこともある。

まあ 当時は 下手すれば 昼間から 酒を呑んで

うろうろしていたんだから、

当然 目には 入っていても 観ていなかったんだろう。




東京にきてまで あわただしくする事も無いので、

家内と ゆっくりと 散策を した。


1月なのに とても 穏やかな 北品川商店街だった。





つづく

麦焼酎シンポジウム 番外 北品川



港南口を経て

我が母校を 家内に案内して 

その足で 北品川商店街へと 足を向けた。




大学の裏門を 抜けた すぐそこにも

我が青春の 一ページを飾るにふさわしい、

塩爺的 世界遺産、

“楽水橋”

が ある。



この橋は 水産大学の寮生には 必ず 何らかの思い出が

あるはずだ。



私は 1年生の頃 呑み会の途中で 酒がなくなってしまい、

『5分で 帰って来い!』との 命令に 必死で応えるべく、

雨の降りしきる中 自転車を立ちこぎし、

道路との継ぎ目の 鉄板で 強烈にスリップし、

自転車は あらぬ方向へと ・・・・。

橋の欄干で わき腹を 強打しながらも、

うめき声を あげ、 それでも 尚 酒の買出しに 

破れたシャツのまま 酒屋に駆け込み 

当時 寮内で 圧倒的なシェア~を 誇っていた、

下町のナポレオン こと いいちこを 何本か 購入し、

すりむいた指を 酒屋のおじさんに 気遣われながらも

また 何事も無かったかのように 

自転車を 立ちこぎして 帰ったものだ。



また あるときは 

通称 楽水ダイブ!!

文字通り 橋の一番高い所から

運河に ダイブするのだ!!

水深は 思いのほか 浅く、ヘドロに足が突き刺さるのだが、

一度 ダイブすれば 恐怖心は 消え、

脳内麻薬が 炸裂し、

奇声を発しながら 何度も 何度も みんなで ダイブ!!


あまりに 奇声を上げ 何度も ダイブするその様に

近隣の住民からの 通報で、駆けつけた

水上警察の 巡視船 および 

高輪警察からの パトロールカーが・・・・。

我々を 拘束するべく 駆けつけ、

容赦なく すさまじい マイクアピール・巡視船からの 強烈な投光機の光を

浴びせられ、 

我々も 観念し、すごすごと ずぶぬれの身体で ・・・・。




どうやら 楽水橋の話で 今日の記事は 終りそう。


では では 

また


つづく。



今日はじめて知ったのだが
この”楽水橋”
森三中の村上が でてた 『ブスの瞳に恋してる』で
ロケに 使われてたらしい。

麦焼酎シンポジウム  番外
姫路から 東京まで

出かけた 今回の 焼酎楽園さん主催

『麦焼酎シンポジウム』。


実は 東京行きには もうひとつの目的が あった。



我が母校と 私が飲み歩いていた“北品川商店街”と

“品川駅港南口”を

家内が ずっと前から 見たい!見たい”と 言っていたので、

およそ20年ぶりに 

品川の高輪口から 港南口へと 歩いた。






まあ 品川駅港南口の 見事なまでの変わりようには

田舎モン丸出しで『ごっついの~~。』『ナンじゃ!こりゃ!』と

思わず声がでてしまう。

操車場の跡地には ガラス張りの でっかいオフィスビルと 

マンションが 立ち並び・・・・・。

『もはや 学生時代の面影は無いか。』と

あきらめかけて 路地を 入ると

あった!!!!

学生時代 幾度となく 酔いつぶれた 店が!!


《もつ焼き マーちゃん》 私の中の“伝説の地”だ。




懐かしさに 涙が 出そうになったが、

もつ焼き屋の前で 昼間から まさか 泣くとこもなく・・・。


大学に 足を 向けた。


何年か前に 東京商船大学と 合併して

東京海洋大学 と 名の変わってしまった 我が母校。

変わったのは 名前と 女子学生の数が 極端に増えたことだけだろうか。


どこかに 水産大学の名残は無いか と 探して、

やっと見つけたのが 

これだけ。



今振り返れば

実に 自堕落で 怠惰な時間を過ごした 学生時代だ。

酒呑んで、マージャンして、

ちょっと寝て、 起きたと思ったら また酒呑んで・・・。

勉強をした 思い出が まったくないし、

若干 女の子と 遊んだ 思い出が あるくらいだ。

バブル全盛の東京を 満喫するには 学生の分際では 敷居が高すぎたか?

バブルを感じたのは

飲み屋で 隣に座ったサラリーマンと仲良くなり

当時 景気が良かった中年サラリーマンに よく奢ってもらったことや、

当時 頻繁に通っていた ボウリング場の 下に、

ジュリアナ東京が できて、

ワンレン・ボディコン・爪長・ピンヒールを 何度か見かけたぐらいか、

そういえば 大学の横の運河で 

シャブ中になる前の 酒井法子を 見たな~~。





今となっては なんとも言えないことばかり。




まあ そんな時代があったからこそ

今が あるわけで。

ただ いつも思うのは もうちょっとだけ 

ちゃんと勉強しておけば よかったかな~~。




つづく

麦焼酎シンポジウム その7


東京での シンポジウムから

もう1週間以上経つのだが

まだ まだ 書き足りない。

話は 麦焼酎では なく、

焼酎を とりまく飲食店について

私の考えを書こうと思う。






私の店には およそ100種類の焼酎が

25度から 原酒 初留取りまで ラインナップしている。


お品書きも 一冊の冊子のようになっては いるが、

蔵元ごとに 分けて 書いている。


すると

『これ 全部 味わかってるの?』と 

お客様から 聞かれるのだが・・・・・。



ちょっと よく考えて欲しい。

売り手である 私たちが、お品書きに書いてある 焼酎の味を

把握しているのは 当たり前じゃないか!


私は 普段 

ワインの専門店のマスターと その奥様。


ショットバーのカクテルについて じっくりと

教えていただける マスター。


料理全般や いろんな事を 相談できる すし屋の大将と

その女将さん。


歳は 若いが しっかりと 自分の仕事と 考えを持っている

料理屋の大将と その女将さん。


昔は ヤンキーだったが 今は 自らがオーナーの

なぜか 気の会う イタリアンのシェフ。


いろんな人と 対等に 且つ 刺激を与えてくれる

人が 身近に いる。


ワインバーのマスターは 当たり前に ワインの味を 知っている。

ショットバーのマスターは 当たり前に 世界中の蒸留酒や、リキュールを

把握している。

すし屋の大将は 当たり前に 日本酒の味を 知っている。

料理屋の大将も しかりだ。

イタリアンのシェフも 当たり前に ワインの味を 知っている。



お客さんも そんな店で まさか 

『マスター このお酒の味 全部 知っている?』って

聞くであろうか?

おそらく 聞かない。


じゃあ なぜ、

焼酎を専門で扱う 一夢庵の私に そんなことを

お客さんが 聞くのだろうか?

・私と家内が 人間的に 信用できない。

・これだけの数を 把握しているはずがない。

などなど

いろんな理由が あるだろう。


実際に 何人かのお客様に 

理由を聞いてみたことが ある。

『焼酎なんか どれ飲んでも 味は いっしょやろ!』

とか

『あまりに種類が 多いから。』

などなど さまざまな 理由が 帰ってきたのだが、・・・。





まだまだ 焼酎は 知られてないじゃん。

まだまだ 焼酎は 終ってるどころか、

始まってない人もいるじゃないか!




つまりは まだまだ 焼酎に関して、

一夢庵が できることは 山のようにあるじゃないか!




『焼酎ブームは 終った。』って 

焼酎を 扱っている 飲食店が 思っていても 

口にしたらアカンやろ!


売れ行きが 少し下がっても ブーム前の水準まで

下がってる 訳じゃないだろ。



いろんな人が 

いろんな考えで

いろんな店を して

いろんな酒を 扱っていることは

私も 認めている。

決して 否定しているつもりは 毛頭ない。

だから

私の考え方も 認知してほしい。




私は 本気で 焼酎を扱っている。

ブームが 落ち着いた、今こそ

ブームの終焉を 嘆くのではなく、

本当に 正しい姿の焼酎を お客様に 伝えて

焼酎を 認めていただくことこそ 

一夢庵の純度を 高めていく仕事のひとつのように

考え、実行している。






一夢庵では 焼酎に関して、

必ず 満足いただけるものと 自負しております。

料理も 今の私の ベストの物を お出しいたします。

価格以上の 御満足を 必ず いただける様に

家内と2人の ちっぽけな店ですが

努めて参ります。




つづく。



名前は 変わってしまったが、
私の中では『昔の名前で 出ています。』
我が母校を 家内に 案内するため 訪れた
“優”が体育しかなかった 元おちこぼれ居酒屋店主の図。

麦焼酎シンポジウム その6


まだまだ つづく 

麦焼酎シンポジウムの 私の感想、

凝りもせず まだ 書きます。




一夢庵はじめた その瞬間から、

私と 家内は 本当のプロフェッショナルを

目指し、試行錯誤が 始まった。


料理・器・接客から 何から 何まで、

一夢庵として 

“どれだけ 一夢庵の純度”を 高めることに

力を 注いできた。

(正直言えば モチベーションの下がってしまったこともあったが・・。)


純度を高めるって 言う事は、

言い換えれば 

どれだけ 一夢庵が 一夢庵らしく しかも 世の中と

協調しながら、私と家内の考えを お客様に

反映させることだと思っている。



今回 

とある蔵元さんと 話したのだが、

試行錯誤するのは いいんだけれど 

何のために 試行錯誤するのかってことも 大事だと 話した。


売り上げを 伸ばしたいが為に 誰かのモノマネを 試行錯誤するのか?

本当に 自分が 作りたいものの為に 試行錯誤するのか?

試行錯誤という名の ただ単に 味が ぶれているだけなのか?


まず 自分の“立ち位置”を 見定めてから

目指すべき目標を 設定し、

なるだけ 最短距離を 狙って 試行錯誤する。


一夢庵も 売り上げを 上げたいのなら 

少なくとも 今のやり方より 効率的且つ 合理的な 方法は

あると思う。

でも 

今のやり方を 私は 選択した。

それは 今のやり方の 純度を高めていく事が

本当にやりたい事だからだ。


だから 蔵元さんにも 

自分のやり方を 貫いて欲しいと思う。

(しんどいかも知れないが、やり方を 間違わなければ
絶対 何とかなる。)




絶対 なんとかなる!!!




シンポジウムでは 麦焼酎が 苦戦とか 言っていたが、

今日の一夢庵は 来るお客様 来るお客様 みんな

『麦焼酎 で おまかせ。』

だったぞ!!!!

こんな日も あるんだ。

家内と ビックリして話した。




だから

本当に 自分のやりたい事を 突き詰めて

限りなく 純度を 高められたら 

間違いなく 

それは

天下無双 敵無しの リアルな オンリーワンだと 思う。



ゴールは ないけども その境地を 目指したい。




(何が 言いたいのか よくわからん文章になってしまった。)




つづく。


シンポジウムの翌日
丸坊主の田舎モノが 品川の駅の中を
やたら キョロキョロしながら 歩いているの図。