いるか漁を
隠して 撮影していた映画が
なんかの賞を とったらしい。
地元では 受賞に反発と書いている。
その映画の監督も
いるか漁がなくなった時が 本当の受賞などと
言っているようだ。
どっちも どっちのような感じがするし、
本質を 観ていない気がする。
イルカ漁をしていた 漁業者の方も
きっちりと 説明をする いい機会だ。
事実は事実として しっかりと立場を 語ればよい。
その映画監督も 映画の題材にして 収入を得たのだから、
きっちりと 話を しなければ ならないと思う。
日本は
ずっと昔から クジラなどの
海に住む 哺乳類を 食べる文化があった。
イヌイットも 文化的に アザラシや クジラを 食べるらしい。
当然 肉だけでなく 皮や 骨 にいたるまで
あますところなく 有効に 使っているようだ。
昔
紀州では クジラ一頭で 7つの村が 潤うと
言われていた頃もあったらしい。
日本では 古来からの 伝統と歴史的な側面がある。
なぜだか 私には 分からないが、
クジラを捕ることに 猛烈に しかも 強行に 反対する
方々が 世界には おられる様だ。
調査捕鯨の妨害で 人に危害を加えるようなマネをしてみたり、
まあ
本末転倒と言うか 狂信的というか
彼らは クジラの方が 人よりも 自分の命よりも
大事としか
思えないような行動をされる。
クジラにしろ イルかにしろ
牛でも 豚でも
なんでも 我々人間は
何かの命を 奪って 糧にして 生き延びてきた歴史は
西洋も 東洋も 関係なく 事実だ。
しかも その漁の現場では
血が飛び散って パッと見で 残酷に思えるだろう、
私が 昔 仕事でしていた
ブリや カンパチの出荷でも
血だらけの 氷水の中で ブリや カンパチを 〆ていた。
私も 魚の血を 浴びて仕事をしていたと 記憶している。
現場は
牛でも豚でも 魚でも イルカでも 同じだ。
だって 命を奪う現場だぜ。
菜食主義でも 葉っぱの命を奪っていることには
違いない。
なのに
自分の文化の中に
“ない”ことを している 違う食生活であったり
文化であったりを
頭ごなしで 否定する事は どうかと思う。
日本の調査捕鯨でも
数が 激減している シロナガスクジラや マッコウクジラを
捕っているわけでも ない、
しかも 国際的な IWCで 認められていることなのだ。
まあ 今の日本では
一昔前ほど クジラの需要は ないかも知れないしが
いろいろな 伝統を守っていくだけの 最低限の捕鯨は
認められて然るべきことだと思う。
クジラじゃ イルかじゃと 言い出せば
一つ一つを 言い出せば キリがない。
人類をして 万物の霊長と言うならば、
もっと 大局にたって
考えなければ いけないような気がする。
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